狙ってもない東京進出
東京オリンピックの開会式に引越
コロナ禍の東京オリンピック2021開会式、我が家は、北陸から関東へ引越しました。
家族全員、北陸以外で生活した経験はありません。(「東京へ行こう」という発想すら、した事がありません)
ダンボールの山のなか、オリンピックを見る気力なく、泥のように眠りました。
当時を振り返ってみます。
きっかけ:旦那の東京転勤内定
きっかけは旦那の会社の東京転勤でした。北陸の本社工場のみでしたが、関東圏の顧客が拡大したため、営業所を開設したのです。
寝耳に水。内示が半年前だったのがせめてもの救い。子供達は小学生と年中。ワンオペ育児もこなせるようになってきたし。
さといも「単身赴任、頑張ってね!!」
旦那「え、みんな来てくれるでしょ?一人は無理だよ」
「…」(転校、引越し、転職のプレッシャー)
「…?」(みじんも疑わない眼差し)
そういう訳で、一家4人の引っ越しは決まりました。
転勤妻の転勤交渉(超強気)
次は自分の仕事をどうするか。旦那とは別の会社に、正社員フルタイム勤務の妻。
ちょうどパワハラ野郎にいじめられ、体調を崩していた私には、渡りに船。「旦那が転勤するので辞めます」と言う気マンマンでしたが、旦那に一応報告。
旦那「身体壊してまで続ける必要は無いよ。けど、東京は物価高いし、生活レベルは落とす事になるけど、どうする?」
さといも「…」(絶妙に私の責任問うてくるなあ)
ダメ元で上司に相談。それで断られたら諦めもつくだろうと。
さといも「旦那の東京転勤が決まりまして、会社を退職しようと思っています。一介の事務員の私が、東京営業所へ転属は無理だと思いますし」
A課長「本部長に相談します。一週間ください」
(うそん。パワハラ野郎の件に責任感じて、めっちゃ便宜図ってくれてる…。でも転勤の理由むりくない?)
しかし敏腕のA課長は、本部長、社長の許可をこぎつけ、一週間後に転属内定を教えてくれました。
一般事務員の転居をともなう異動は、異例中の異例。普通は現地採用。
五体投地の感謝です!
ひとまず引越しと就活の同時進行はなくなり、保育園の転入も有利に。現職は強いからね!
1番めんどかった転校手続き
今回、最も煩雑だったのが小学校の転校手続き。下記の流れでした。
現在の小学校に電話→現住所の教育委員会に電話→転出先の小学校に電話→転出先の教育委員会に電話→転出先の小学校に報告→現在の小学校に報告
しかも学校だから、平日の日中にかける必要がありました。フルタイムの自分にはきつかった。市役所に必要書類を取りに行くための有休をフルに使い、頭は混乱しながらも、どうにか完了。
小学校の最終登校日には、
在学証明書、教科書給付証明書、転校届
を受け取る必要があり、印鑑持参で学校に行き、挨拶も必要でした。
うちは転勤内示が早かったため良かったですが、1ヶ月前内示とか絶対きついですよね!
転勤族のみなさん、本当に尊敬します。
保育園は、転出先の市役所に必要書類きいて、現在の市役所経由で提出だったので比較的楽。
ただし求職中と現職の違いは大きいかも。
この辺の大変さを旦那へ報告しましたが、「俺がやる前にしてたから任せただけ。偉そうに言うな」との事だったので。次の転勤は全てやらせようと思います(にこり)
引越しの相見積
旦那の転勤なので、旦那の会社が引っ越し費用を出してくれる訳ですが、一旦は自腹で立て替えなければならない(しかも現金以外NG)
ならばと相見積を取る事にしました。「引越し侍」というサイトから複数業者に見積り依頼できると分かったため、入力。
このサイトとても重宝しました。やる事リストなど、バタバタして抜けがちな事が一覧に。
引越後のインフラ手続きが、特に参考に。
旦那「どうせ戻るんだから相見積までしなくてもw」と言ってましたが、後日提出したら会社の経理から「相見積ください」と言われたらしく。ラッキーでした。
なんか長くなったので、この辺で。
とにかく地元に骨を埋める気マンマンだったアラフォー夫婦のゆるい奮闘でした。
とりあえず引越し関連、なんとかなりました。